大学入試和文英訳問題考察ー東大2021前期

東京大学安田講堂

これは大学入試和文英訳問題の解説です。問題への取り組み方を考察します。今回は東京大学 2021年前期 2次試験の問題を採り上げました。

のっけからカテゴリーを否定しますが、和文英訳は英語力を評価する方法として決して優れていません。そもそも英語が完璧な人でも日本語を知らないと解答できない時点でまともな英語の試験法でありませんが、英語と日本語の構造の違いを無視した表層的な出題になりがちなこと、外国語を外国語のまま理解し考え表現するという語学の理想からかけ離れていることが欠陥です。

日英の文章の構成が段落レベルで異なるので、文単位で日本語を英語に置換しても碌な英文になりません。英文の論理構造の理解が先にあって然るべきですが、入試はそれをすっ飛ばしていきなり短文を英訳させます。こうして、木を見て森を見ないいびつな英語学習に受験生が誘導されていきます。

また、日本語と英語でそれぞれの言語圏の文化が大きく異なるので、同じ状況でも言うべき内容が正反対なことがあります。例えば新任者の挨拶が日本では「おっちょこちょいで至らぬところが多い私ですが、よろしくお願いします。」と隙を見せ同僚の警戒心を解くことに主眼をおいているのに対し、英語では「自分は前職で立派な実績をあげてきた。ここで素晴らしい仲間と最高の仕事ができることにわくわくしてるぜ。」と相手に舐められず超前向きなメッセージを発することが重要です。日本の挨拶をそのまま英語にしたら馬鹿だと思われ挨拶の目的を達しないので、情報の要素だけ抜き出して換骨奪胎し英語圏で通用するものに書き換えねばなりません。こういう文化の違いも、単に和文を一文ごとにあるいは逐語的に英訳するという作業に一体どんな意味があるのかと虚しくさせます。

更に、難関校の和文英訳問題は、難易度を上げるため日本語でも何を言ってるか分からないグダグダな文章を敢えて題材にすることが往々にしてあります。こうなると問われているのはもはや英語力ですらありません。死んだ魚の目で取り組むしかありません。

さて本題です。

東京大学 2021年前期 英語

以下の下線部を英訳せよ。

私が遊び好きだと言うと、欺されたような気になる方がおられるかもしれない。たしかにギリシア語やラテン語をモノにするには、一日七、八時間、八十日間一日も休まずやらなければならなかった。基本的テキストを読むときは毎日四、五ページ、休まずに読みつづけなければならなかった。それでは遊ぶ暇なんかないじゃないか。 何か遊び好きだ、と。

いや、別に嘘をついているわけではない。たしかに大学に入ってしばらくのあいだ、 語学を仕込む期間はこんなふうにやらなければならなかった。だが、語学の習得は自転車に乗る練習のようなもので、練習しているあいだは大変でも、一度乗れるようになってしまえばなんでもない。あとはいつも乗ってさえいればいいのだ。

木田元『新人生論ノート』を一部改変

文章全体から漂うこのオヤジ臭は何なんでしょうか。読者は自分に関心を持っているに違いないという自信、オレめっちゃ勉強も遊びもしたわーという地獄のミサワばりの暑い自分語りだけでありません。酔っぱらいのような管巻きのつながっていない論理をつなぎ補って真意を斟酌する労力を読者に強いて憚らない厚かましさ、俺の本を読むためならそれくらいして当然だという強気さは、まさに社会的に成功し多くの人をかしずかせてきたオヤジのものです。新人生論ノートの読者にはそれでもいいのでしょう。いや、それがいいのでしょう。

しかし問題の箇所は出題者が文脈をぶった切り抜粋したものです。受験生は好きでもないのにそれを読まさせられるだけでなくあろうことか英訳までしなければならないのです。この文章に対する責任は出題者にあります。オヤジの舌足らずな文の意図を忖度させ英語化させることにより、受験生のどんな能力を評価しようというのか?忍耐力?東大生の英語力は将来老害上司の介護に捧げられるべきだと思っているのか?出題者の見識を疑わずにいられません。

そうは言っても入試問題なので解かないわけにいきません。まともな英文にするために、まず曖昧で大雑把すぎる表現を忖度して実質的なものにし、跡切れ跡切れの論理を創造的に補完して継ぎ目ない論理の流れを作り、文の趣旨を特定することが必要です。ハイコンテクストな日本語の常識を持ち込まず、言葉で全て言い表すことを意識して分析しましょう。

思考過程を明文化するとこんな感じです。ちなみに、試験本番で悠長にこんなことをしている時間はありません。大半頭の中で整理しつつ大事な点をメモして構想を練るのが現実的だと思います。

下線部の分析

原文:だが、語学の習得は自転車に乗る練習のようなもので、練習しているあいだは大変でも、一度乗れるようになってしまえばなんでもない。あとはいつも乗ってさえいればいいのだ。

論理補完後:だが、勉強で忙しかったのは一時のことだった。語学の習得は自転車に乗る練習のようなものである。自転車の乗り方を練習している期間には努力と時間を要するが、一度乗乗り方を習得してしまえば、自転車に乗ることは容易である。あとは常に自転車に乗っていさえすれば乗り方を忘れない。語学も同様である。一度苦労して言語を習得してしまえば、その言葉を使うのに造作ない。但し言葉を使い続けることが語学力の維持に必要である。

趣旨:語学学習は自転車の練習に似て習得に労力と時間を要するが、一旦習得してしまえばその後は労力を要さない。能力維持のため使い続ける必要があるのみだ。

補完後の文は冗長に見えますが、原文の論理はズタズタに途切れていて、ここまで手当してあげないとつながらないのです。冒頭の「だが」は実は前後の内容を接続していません。「語学の仕込み中は忙しかった。だが、(それは一時のことだった。)」で終わっているのです。その後は「技能は一旦習得してしまえば使うのは簡単だ」という一般論です。「大変」は広い意味を持つ言葉ですが、ここでは努力、労力が要るということですね。毎日一日中勉強していたという地獄のミサワ発言に敬意を払って、時間をつぎ込んだことも「大変さ」に加えておきましょう。「なんでもない」は朝飯前ということでしょうか。「あとはいつも乗ってさえいればいいのだ」の部分はオヤジの真骨頂といえます。勢いだけで解釈を読者に丸投げしています。ここでの「乗る」という比喩は語学学習のどのような行為に相当するのか。「乗ってさえいれば」どのようにいいのか、「いい」とは優れていることなのか問題にならないことなのか。想像力を要しました。英語と関係ない能力が試されます。

一旦解析してみると、英訳は補完後の内容を必ずしも全て含まねばならないわけでなく、趣旨の通りでよさそうなことがわかります。こんな感じで回答例です。仕事の英作文では、類語辞典やコロケーション辞典を使って語句を選んだり繰り返しを避けたりする工夫をしますが、試験本番を想定して荒削りにとどめました。冒頭の「だが」に合わせてButで始めてもいいかもしれません。その方が減点リスクが低いでしょう。文頭のbutは慎むべきと書いてある辞書もありますが、入試の読解問題にだっていくらでも出てきます。ただ、前述の通り原文この部分の論理は崩壊しており「だが」の逆接が成立していないので、私は不要と判断しました。

回答例

Learning a language is like learning how to bike. The practice of a language or a bicycle requires time and effort. Once you have mastered it, however, you don't need effort to use the skills. You only have to keep using the skills to maintain them.

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