大学入試和文英訳問題考察ー東大2018前期
図はDALL·Eが描いた東大赤門です。
学力の評価法として和文英訳の価値が低いこと、特に、酔っぱらいの管巻きのような非論理的な和文を英訳させるのは無意味で学生に対する虐待ですらあることを前回書きました。
残念ながら2018年東大入試でもそういう質の低い問題が出題されています。
東京大学 2018年前期 英語
以下の下線部を英訳せよ。
「現在の行動にばかりかまけていては、生きるという意味が逃げてしまう」と小林秀雄は語った。それは恐らく、自分が日常生活においてすべきだと思い込んでいることをやってそれでよしとしているようでは、人生などいつのまにか終わってしまうという意味であろう。
これは二重に酷い。小林秀雄という思考を論理的にまとめられない人の発言を筆者が解釈していますが、筆者もまた何を言いたいのだか分かりません。特別養護老人ホームの入居者どうしの会話のような地獄みがあります。「人生などいつのまにか終わってしまうという意味」ってどういう意味よ。それでよしとしようがしまいが、人生とはいつの間にか終わるものですよ。「重要なことを成し遂げることなく人生が終わってしまう」と言いたいならそう書くべきで、これは出題者の責任ですが、雑な仄めかしで受験生を煙に巻くものではありません。
こんな設問でどんな能力を評価できるというのでしょうか。大学の見識が疑われます。事実や考えを他人に正しく分かりやすく伝えようという誠意が欠けた文章をわざわざ他言語に翻訳することに私は意義を見いだせません。
読売新聞の記事の中で都立両国高校英語科の先生もこの問題を名指しして「これは英語の試験なのだろうか。東大は、日本語を英語にできる翻訳家を育てたいのか。論理的な思考力とはほど遠い英作文ではないか。東大がアドミッション・ポリシーでうたう『発信力』とは、なんだろうか。」ともっともな批判をされています。